アメリカの国民性

今朝、常連になりつつあるサンドウィッチ店で朝食を購入していたところ、見知らぬおばさんから「私、ヘアカットをしているのだけど、あなたのヘアスタイルカッコいいわね」と声を掛けられた。とりあえずThank You!!!と返答しといたけども、心の中では朝から踊るような気持ちになった。お世辞だよ〜って思うかもしれないが、アメリカは良いものはGood!悪いものはBad!と素直に言えるお国柄なのだ。(この件については自分が褒められた立場だけに書き難いが事実そうなのだ。)
今朝のことだけでなく、アメリカ人は大らかな国民性で心が豊かな国であると感じることが多い。全く面識のない人でも目が合えば、グットモーニングからグッドイブニングまで声を掛け合うし、同じく面識のない間柄でもまるで長い付き合いの友達のように会話を始める。誰だって朝からグットモーニング!と声を掛けられれば気持ち良いもので、何だか一日中良い気分でいられる。
一方、日本は少々この辺りギクシャクしている気がする。彼女と電話したときに、仕事行く途中のバスで叔父さん同士が喧嘩していた話を聞いたが、その理由は新聞が頭にあたった、あたらないの話らしい。「心のゆとりと豊かさ」について追求していくと、アメリカと日本には大きな差があることを感じずにはいられない。(アメリカ>日本だけでなく、心の豊かさを国別でランク付けしたら日本はかなり最低ランクではないだろうか?)
国民性とその国の常識に関連があるとすれば(私はあると思う)、今朝起きた些細な出来事も日本にはない常識、つまり非常識(日本では)なことになってしまう。常識が異なる国で生活していることがいかに大きな経験値になると思う一つの出来事だ。(大げさか?)なぜなら、一つの常識内だけで生活していればその枠でしか物事を考えられないだろうが、日本の常識はあくまでも日本だけのもので、世界からしてみれば非常識なことだって沢山あるからだ。したがって自国以外の常識を知り経験することでその枠を広げることができ、ついては、色々な発想・行動ができるようになる、これが海外生活を経験することによる最大の恩恵だと感じる。
↑は朝起きた些細な出来事で少々大げさに書いたかもしれないが、日本も朝はおはよう!から始まり、良いものは素晴らしい!詫びるときはごめんなさい・・・etcが誰でも(そして誰にでも)言えるような素直なお国柄になれば良いと思う。